人生の転機”この日から頑張ろうと思った”
はいどうも。うさぎです。
アドベントカレンダー第3弾です。
1日に2つ投稿していますが、理由は下記の通りです。本当に困った。
朝起きたら突然ルータが仕事放棄してた - 白うさぎのIT学習帳
頭使ったので、、、2つ目の記事は私の人生について語ろうと思います。
これまた最近の記事で話しましたが、私驚くほど人見知りなんですよね。
コミュ障の私が大勢の人前でプレゼンできるようになった話 - 白うさぎのIT学習帳
これが他人だけでなく、祖父母にも少し影響していたわけで。
年に1回(お正月)に会えるか会えないかレベルだったので、久しぶりに会うと何していいんだかわからなかったんですよね〜。
今回はそんな祖父母に関連した私の人生の転機を少しだけ語ろうと思います。
小学生「勉強むり嫌い」
もう、こんな感じでしたね。
国語算数理科社会・・・わからない!なんでやるのか、全く意味わからん!
この辺の時は祖父母に会った時に恥ずかしいが勝ってましたね。
中学生「なんのために生きてるのか結構なぞ」
もう悟り開きそうなレベルでした。
友達もめっちゃ仲良いこ1人いればそれでよくて(それが幸せだと今おもう)
当時は自分なんて・・・って気持ちでしたね。
副会長してましたけど、それも学校の先生に言われたからで誰もやらないからやるしかないしって感じですね。
祖父母の家に行っても、何話す?って感じでした。
反抗期ではないけど・・・気難しい期でした笑
高校「高校楽しい」
そんな自分も高校には恵まれて、楽しい生活を過ごせてました。
部活仲間なみんな面白いし、生徒会も中学の名残で初めてみたら先輩も後輩も同期もいい人だらけで楽しい以外のなんでもなかったです。
勉強も自分の偏差値にあったところ選んだので、ものすごくちょうどよくてむしろ楽しくなってきました。
この辺から祖父母に会うとちょっと話すようにはなってきました。
「明るくなったねぇ」
って言われることも増えました。
しかしここで、一つのきっかけができます。
祖父が亡くなってしまいました。
理由はいろいろありますが・・・しっかり歩ける元気だった祖父だったのでかなりショックでした。そして私のなかで初めての親戚の死がどうしても苦しかったです。
専門学校
専門に入ってしばらくしてから、母から突然告げられた言葉
「◯日学校休んでね。お葬式いくから。」
この瞬間に、あーって察しました。
認知症で2年ぐらい会うことが許されなかった祖母が亡くなったんだなって。
誰だかの理解がもうできないからって会わせてもらえなかったんですよね。
だからお葬式の時に久しぶりに祖母の姿を見ました。
かなり小さくなっちゃってて、寂しかったです。
お葬式の数日後
突然母から渡された
「父が祖父母の家の掃除してたら出てきたらしい」
そう言って渡されたのが封筒でした。
そこには祖母の字で
「◯◯(私の本名)
お年玉用 遅れてごめんなさい」
って書いてありました。
この瞬間に号泣しました。
私の名前を覚えていてくれて(結構特殊な漢字の書き方をしますが漢字までちゃんと)、なかなか会うことができない中でお年玉をあげなきゃという気持ちになり筆を手に取ってくれたこと、全てが心に響きました。
私は過去に飼ってたペットの遺品(火葬場からもらった爪の骨など)を持ち歩いてお守りにしていますが、想定外の贈り物が今までの自分の人生全てを否定しました。
このままじゃいけない。もう後悔したくない。
「やればよかった」じゃなくて「やってよかった」を増やそう。
祖父母に胸を張って会えるような自分になろう。
そう決めて今に至ります。
祖母がくれた封筒は毎日持ち歩いています。
・・・こうして文書に起こすと改めて頑張らないとって気持ちが強くなりますね。
今日からいい日になりそうです。
でわでわ。